2026年1月30日金曜日

寺田寅彦『柿の種』再読

 


 久しぶり、寺田寅彦『柿の種』を読む。

 あらためて気づいたことだが、こんな詩のようなメモのような一文が巻頭にある。


 棄てた一粒の柿の種

 生えるも生えぬも

 甘いも渋いも

 畑の土のよしあし


 読んで、農業にいそしむ人々を思い浮かべた。米を作る人々は、「米を作る」とは言わない、「田を作る」と言う。農産物はみな土壌に育ち、実る。人にできることは、その土壌を耕すことであって、それ以上ではない。


 『柿の種』にしても、小著ではあるが、僕には肥沃な土壌のようなものだ。田を作るように再度読んでいこう。


家に大黒柱はありやなしや

 親類が8歳の男の子を連れて家を訪ねてきた挿話が載っている。


 男の子はしばらくすると縁側に出て、そこに立つ柱にするするとのぼる。親が叱ると、今度はするするとすべり下りて、座布団の上に端座した。


 それだけの話だが、妙に心に残る。自分の子供の頃を振り返っても、元気の良さと行儀の良さは同居していて、本能的に使い分けていた気がする。実際、親友のNの家で「いつもきちんと座って、お行儀がいいわねえ」と、Nの母親に褒められたことがある。だが、日常のほとんどの場面ではあばれまわっていた。それが子供というものだろうと思う。

 寺田寅彦は静かでおとなしい子供だったらしく、この子をうらやましがっているが、庶民の家に生まれた男の子は寺田とは大いに違っていたはずだ。


 ついでながら柱で思い浮かぶのが、2013年の伊豆大島の被災に関する話。家の大黒柱につかまって難を逃れた人がずいぶんいたという。

 建築には詳しくないが、いまは壁面で支え、大黒柱などない家が多いのではないか。そういう家では、何を大黒柱の代わりにするのだろうと思った。


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