2026年1月29日木曜日

山崎ハコ・三上寛の時代だった

 


 1970年代後半の日本の音楽シーンは、「山崎ハコの時代」であると同時に「山崎ハコ・三上寛の時代」だった。あれはいつだったろうか、僕がただ1回観た山崎ハコのコンサートの終了後だ、会場を出てエスカレーターで降りかけたとき、偶然相倉久人さんと一緒になった。とっさに氏に自分の考えを伝えると、「そうだね」という返事をいただいた。

 三上寛もまた青森県五所川原から東京へと流れてきた人である。上京するそもそものきっかけは冤罪。高卒後青森県警に採用されて入学した警察学校で盗みをはたらいたという疑いをもたれ、退学。詩人になる夢を抱いて東京に出た。1969年のことだ。そして、翌1970年にライブハウスで歌手デビューをする。


 個人的には、残念ながら70年代に三上寛をライブで体験する機会はなかった。しかし、アルバムはよく聴いた。なかでも最も多量の時間を費やすこととなったのが、『夕焼けの記憶から/三上寛・青森ライヴ』(1977)。青森のライブハウス「だびよん劇場」でのライブ収録で、ステージから客席へ、客席からステージへと津軽弁が飛び交う。それとともに歌は白熱する。

 聴くのはたいてい深夜で、だからボリュームは相当に絞ったはずだが、気持ちは聴けば聴くほど昂ぶった。


三上寛と呑んだ一夜

 三上寛には一度だけじかに接したことがある。1975年頃ではないかと思うが、ところは新宿にあったバー「ジャックの豆の木」。山下洋輔トリオのマネージャーだった柏原卓が経営する店で、タモリの東京デビューの場となったり、知る人ぞ知る名物バーである。

 そのときのことは、おぼろげながらも覚えている。雑誌『毎日グラフ』の編集者に連れられて店に入ると、カウンター席にカメラマンの浅井愼平がいて、ギターを弾いていた。『毎日グラフ』の編集者とは旧知の仲だから、僕も含めてしばしの談笑となった。

 すると、そこへ三上寛が入ってきた。その姿を見た浅井愼平はさっと立ち上がって店を出て行く。その理由はあとになってわかるが、僕らは今度は三上寛とのおしゃべりを続けることとなった。


 それから小一時間呑んだ頃合いだったろうか、三上寛が「一緒に別の店に行こう」と言う。嫌も応もなく、連れだって店を出た。着いた先は歌舞伎町のお座敷バーだった。

 それからのことは断片的にしか覚えていないが、相当に酔いがまわっていたのだろう、三上寛が突然立ち上がり、着ているものを脱ぎはじめた。そして、素っ裸になるやいなや、近くにいる女性の客に近づき、抱きつく。「キャーッ」という悲鳴が上がった。

 夢でも幻でもなく、本当に目の前で起きた出来事だ。

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