2026年1月4日日曜日

老衰で逝った河村要助さん

 


 「老衰」という言葉は、主に死因として使われる。一例を挙げると、こんな具合だ。



 ついでながらふれると、海老名香葉子さんからは一度だけ葉書でお便りをいただいたことがある。1990年代後半だったと思う、雑誌で続けていたコラムで「林家三平はジャズである」という一文を書いた。三平を軽視する風潮が目立った時期で、それへの反対意見として三平の落語はジャズのインプロヴィゼーションのごとく自由闊達でいかに魅力に溢れたものかを書いた。それを読んでくださったらしく、お礼のメッセージが編集部経由で届いたのだ。

 話を戻す。

 老衰は、正確には死因を意味する語ではない。『広辞苑』にも書かれているが、要は文字が示すとおり「老いて衰える」ということである。したがって、老衰は、死の直前に訪れるわけではない。加齢を重ねていつ頃からか始まり、徐々に進んでいく――それが老衰だ。


 今年の3月で79歳となる僕が「老いて衰える」を自覚したのは、遅く77歳の夏のことだった。2024年8月31日、人生で十数度目の痛風が発症した。痛風は50代末期からの持病だが、この日に発症した痛風は、痛風の語源である「風に吹かれても痛い」をはるかに超えた激痛だった。痛風による死という話は聞いたことがないが、このときは死を覚悟した。それほどの痛みだった。そして、通常は2週間ほどで消える痛みは、約1ヵ月続いた。その間、いうまでもなくまともに歩くことはできなかった。

 そうして、歩行不自由は、それから1年半が過ぎたいまでも続いている。


ある日あるときの河村要助さん

 老衰という言葉を最初につよく印象づけられたのは、河村要助さん逝去の報道でだった。Webの記事だった。もともとプライベートなつきあいはなかったから、噂で消息を知るというのがいつものことだった。アルコール依存症がもとで体を壊し、闘病生活に入ったというのも噂で知った。

https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041031.html

 そんな遠いお付き合いではあったが、最後にお目にかかったのは、たぶん2000年のある夜、亡き渋谷則夫追悼の会場でだった。下北沢の酒場ラ・カーニャで開かれたプライベート・イベントで、ギタリスト本多信介らと協力して開催した。

 河村さんはおそろしくシャイな人だった。そのことと関係があるのかどうか、イベント当日、彼は何人もいたはずの仕事仲間から外れて会場の隅、ひっそりとウィスキーを飲んでいた。シャイを離れて、孤独の空気に包まれているイメージ。そのときの様子が、あれから26年が過ぎたいまも記憶に刻まれている。

2 件のコメント:

  1. 『老衰日和』、この表題に誘われて読んでいます。私も一昨年に後期高齢者の仲間入り。老いての衰えも実感しています。
     河村要助さん、懐かしいです。青春時代というのも、なんだか気恥ずかしいですが、20代の頃、よく手にした雑誌などでイラストを拝見しました。新聞や雑誌などでは挿絵といいますが、それまでの挿絵とはまったく違ったタッチでびっくり。じっと見ていると音楽が聞こえてくるようで…。ラテンのリズム、でしょうか。その頃、もうひとり、大好きなイラストレーターがいました。矢吹申彦さん。彼の絵からも音楽が聞こえてくるようでした。彼も数年前に亡くなっていますね。
     自分の若かりし頃の思い出とともに、大好きだった作家や画家、ミュージシャンたちが亡くなっていく。私自身も、そう遠くない日にと考えると、ますますわが身の『老衰日和』を楽しまなくちゃと思う日々なのであります。

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    1. お互い、老衰日和を楽しみましょう。

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